歎異抄で「悪人こそが救われる」と説かれているのは
歎異抄で「悪人こそが救われる」と説かれているのは
善人はプライドが高く
悪人はプライドが低いため
後者は他力を得られる、という意味である
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【歎異抄】
親鸞に師事した唯円(ゆいえん)が鎌倉時代後期に書いた仏教書
”善人なおもて往生せんとす。いわんや悪人をや”
(善人だって悟りをひらくことができるのだから、まして悪人が悟りをひらき、彼岸に到達できないわけがない)
の言葉は、親鸞の教えの根幹をなす言葉として親しまれている
【善人はプライドが高い】
自分を善人だと思っている時点でプライドが高い
自力で何でも出来ると思っている=うぬぼれ過ぎ
親鸞ですら「一つの善もできなかった」と言ったのだという
【悪人はプライドが低い】
自分に悪人の自覚のある人は飾り気がなく周囲をホッとさせる
自分の弱み・力の無さをさらけ出せる
自分を過大評価せず、うぬぼれていない
素直で健気
【他力本願の意味】
世間一般で言う「他力本願=人任せの醜い姿勢」という用法は誤用
(大辞泉には「誤用の定着したもの」とある)
本来の「他力本願」とは
「背伸びをせずにやれる範囲のことをやり、あとの結果は神頼み」という姿勢である
プライドが高いと背伸びをし、無理して自力でやり通そうとする
プライドが低ければこの「他力」に頼ることができる
何でも自力で出来ると思わず
身の程を知って出来る限りのことをやり
自分の弱さ・ズルさを容易に口にできる、そんなバランスで生きることこそが
他力を得られる(他人に宿る神に好かれる)道なのだと言える





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